ご挨拶・沿革

 

ご挨拶

 彰栄幼稚園は2016年をもって創立120年となりました。東京都内の現存する私立幼稚園としては、最も古い幼稚園(「都市紀要14」東京都1966発行による)です。この長い歴史の中には「愛をもって幼な子に仕える」本園のキリスト教保育が、戦前の教育政策や戦争といった悲しい場面を経ても、なお連綿と継承されて、一人ひとりの個性を豊かに育む保育を大切に、今に至るまで変わらずに行っております。幼児期の子どもにとって最も必要とされる「生きる力」の育成は、自由でのびのびした環境の中において遊びの経験を深めてこそ為せるものです。またそれは「人と関わる力」の育ちを通じて培われることが必須です。自分の“思い”を相手に伝え、人のために自分から動き出すことのできる子どもを育てたいと私たち教師は願っています。
 大きな木の下で遊ぶこと、泥んこが大好きな子どもたちの幼稚園を是非ご覧いただきたく存じます。
彰栄幼稚園園長  津村利治

校 訓

愛と奉仕

「愛をもって互いに仕えなさい」ガラテヤの信徒への手紙5章13節

沿 革

本園は、1896(明治29)年に、米国婦人宣教師のタッピングによって築地明石町に創設され、その後、四谷を経て大正2年に現在地に移転、現在に至っております。
大正10年に石原キクが園長となり、昭和42年の逝去までその職にありました。
石原キクは日本の幼稚園の草創期にその生涯を幼児教育に捧げる決心をして米国に留学しました。シンシナチ大学、ウエスタン大学、コロンビア大学等に学んで幼稚園教育の深奥を究め高度な実技を身につけて帰国し日本の幼児教育に大きな貢献をしました。
石原キク没後、その教育方針を継承して歴代園長が運営に充たっています。そして、創立から現在までキリスト教を基盤とした教育精神によって幼児教育が行われてきました。
なお、構内に彰栄保育福祉専門学校が併設されていて、学生の実習の場としても活用されています。

創設者ミセス・タッピングと詩人 宮澤賢治

 彰栄学園の創立者である宣教師ミセス・ジェネビーヴ・タッピング(Mrs.Genevive Topping,1863-1953)は、一部の恵まれた子女のみに幼児教育が開かれていた時代にあって、幼児期こそあらゆる子どもに分け隔て無く教育が必要であるとして、明治期の日本に向け、当時欧米で行われているフレーベルの思想に基づいた教育を取り入れました。東京築地の外国人居留地でキリスト教主義の幼児教育に関わる人材を育てるため1896年に東京幼稚園保姆養成所を開くとともに、キリスト教主義の築地幼稚園と四谷彰栄幼稚園を開設しました。この2園が本園の源流となるものです。
 さてその後、夫ヘンリー・タッピングの盛岡転勤に同行したミセス・タッピングは東京での任を終えて、夫とともに盛岡で教会と教会附属幼稚園を開く役目に就きます。タッピングと宮澤賢治(1896~1933)の出会いはこの時代で、賢治が旧制盛岡中学と盛岡高等農林学校(本科および研究科)に在籍した時となります。農林学校の1年生のときに同級生を誘い盛岡浸礼教会の聖書講座を受講したことで、タッピングから宗教や語学を学んだことが近年の研究の中で明らかになっています。
 現在盛岡市にある岩手公園には、タッピングと賢治がふれあい生きたことが表されている詩碑が建立されています。この詩は賢治が他界する1ヶ月前に病床で書き上げたとされます。

岩手公園

「かなた」と老いしタピングは
杖をはるかにゆびさせど
東はるかに散乱の
さびしき銀は聲もなし

なみなす丘はぼうぼうと
青きりんごの色に暮れ
大学生のタピングは
口笛軽く吹きにけり

老いたるミセスタッピング
「去年(こぞ)なが姉はこゝにして
中学生の一組に
花のことばを教へしか」

弧光燈(アークライト)にめくるめき
羽虫の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり
まちはしづかにたそがるゝ

賢 治
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